【ちび姉爆誕秘話】「なかなかできない。だからこそ、授かった喜びは深かった」 ― オヤジ家の不妊治療と偶然の奇跡

育児

こんにちは、オヤジです。

【自己紹介:前半】で少し触れた、不妊治療の取り組み。

 そもそも「不妊」の定義ってなんなのか、自分たちは「不妊」なのか子供が欲しい思いと、不妊と認めたくない思いが交錯していたころの経験をご紹介します。

世間一般の「不妊」とは?~何ヶ月からとされるのか

 日本産科婦人科学会の定義によると、妊娠を希望しているカップルが1年間妊娠しない場合を「不妊症」としています。また、2025年現在、夫婦の4.4組に1組が不妊で悩んでいるといわれているそうです。(参考:日本産科婦人科学会

 初めは「そんなにすぐにはできないものだろう」と楽観的に構えていた我が家も、気づけば1年。
気持ちのどこかに引っかかりを感じながら、病院の門を叩くことにしました。

オヤジ
オヤジ

『不妊』って言葉、正直ちょっと他人事に感じてました。でも、気がつくと自分たちもその定義の中に入っていたんだよね。

オヤジ達は不妊なのか?― 男性側の葛藤とプレッシャー

 病院に行こうと決めたとき、言葉にはしなかったものの、実は一番抵抗があったのはオヤジだったかもしれません


 「何か問題があったらどうしよう」「問題があったときに突き付けられる現実」――そんな小さなプライドと大きな不安が頭をグルグルしていました。現代では、不妊症の約半分は男性側の問題と言われているなかで、どこか現実から目をそらしたい自分(達)は大丈夫でしょ、という勝手な思いがあった気がします。
 もちろん、なかなか子供ができない原因が「すべてカミサンのせい」なんてコレっぽちも思っていなかったのも、正直な気持ちです。

 一方で、子どもが欲しいという気持ちは本物。
「何ができるか」「どうやって二人で乗り越えるか」を考えることに切り替えました。

オヤジ
オヤジ

“もし自分のせいだったら…”っていう重圧、なかなか言葉にできなかったな。
これはカミサンも同じ思いだったのかな。

不妊治療開始 ― タイミング療法と注射、フーナーテストの記録

 血液検査を受け、医師から提案されたのは「タイミング療法」と呼ばれる初期段階のアプローチ。
排卵のタイミングに合わせて通院し、注射などのサポートも受けながら、妊娠の可能性を高めていく治療です。

 その中でも印象に残っているのが「フーナーテスト」
これは、排卵時期に合わせて実施される検査で、子宮頸管内の環境が受精に適しているかを確認するものです。(参考:こども家庭庁- 不妊治療って何をするの?検査やステップを専門医が解説

 正直、「フーナーテスト」なんてものは恥ずかしながら聞いたこともなかったし、こんなテストがあるのか、というのが率直な感想でした。
 このテストにたどりつくまでに治療開始から半年以上の期間を経ていました。その間、カミサン側の検査も進んでおり、「問題なし」の判定もいただいてました。つまり、この検査で「オヤジの性能を判定される」といった少し追い詰められた感情だったのを覚えています。
もちろん、カミサン側はもっと早い段階でプレッシャーや不安と戦ってくれていたので、それは本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 「フーナーテスト」の結果、オヤジ側も良好で大きな異常は見つからなかったものの、「結果が良い=妊娠する」ではないのが、この治療の難しさだと改めて痛感しました。

【疲弊と諦め】治療の苦悩、見えないゴール、そして奇跡―

 通院を続ける中で、心身ともに疲弊していく日々。

 カミサンは仕事帰りの閉館間際に病院に駆け込み注射をするたびに体調を崩す、そんな日々を過ごしつつ、結果が出ない中で次のステップも考え始めていました。
 結果が出ない焦り毎月の期待と落胆の繰り返し、――そのたびに、「まだ今じゃないのかもね」「また次、また次」という声を掛け合っていました。カミサンに伝えているようで、オヤジ自分自身にも言い聞かせていた言葉だったように思います。

 あるとき、二人で思い切って「少し妊活の通院をお休みしてみよう」と決断しました。通院し始めてから1年半が経過したころです。それは“あきらめ”ではなく、“一度立ち止まってみる”という選択でした。

そして通院をやめたその翌月、奇跡のように自然妊娠が判明
言葉にならない嬉しさと驚きが、今でも鮮明に思い出されます。

オヤジ
オヤジ

「1年半」という期間は、オヤジ達にとってはゴールの見えないつらい期間でした。
平均でも2年を超えると言われている中で、本当に偶然の奇跡に喜びが爆発しました

【ちび姉爆誕】 コロナ禍の出産立ち会いと感動

出産当日は、今振り返ってもドタバタでした。

カミサンは里帰り出産をしました。オヤジの家から病院までは車で片道1時間半の距離。
しかもその頃は、コロナ禍まっただ中で、立ち会い出産も時間制限も設けられていました。立ち会いはわずか30分だけ許されていました。

 予定日当日――。

 朝8時、カミサンからの連絡で間もなく産まれそう、とのこと。
 仕事をすべてすっ飛ばし、急いで病院に駆けつけました。快晴の秋の空、涼しくも日差しは暖かい日だったことを鮮明に覚えています。
 ところが、いよいよという思いで病院についたが、「まだまだ産まれないよ」「一度帰ってください」と看護師さんからのお言葉。ちょっと肩の力が抜けた感じもありましたが、その無駄足の往復さえ、どこか楽しんでいるような、そんな気持ちでした。

 夜20時、再度病院へ――。
 許可されているのは30分という「ピンポイント立ち合い」のため直前まで駐車場で待機。看護師さんから呼び出しされる22時まで、病院の周りをグルグル何週歩いたか覚えていません。
そして、運命の瞬間!短い立ち会い時間の中で、ちび姉の産声を聞いた瞬間、本当に感動しました。

 ちび姉、頑張った!カミサン、ありがとう!

オヤジ
オヤジ

時間にしたら本当に短かったけど、あの30分のインパクトは一生忘れない。
病院側の配慮で、10分延長してくれたことは、ここだけの話――。

「なかなかできない・・・」

 その一言の裏には、経験した人にしか分からない想いや葛藤が詰まっています。

 でも、あの期間があったからこそ、命の重み、奇跡のような日常の尊さを、より深く噛みしめながら育児ができている――そんな実感があります。

 次回は、そんなちび姉がなかなか寝返りをしなかった話、をお届けしたいと思います。

オヤジ
オヤジ

では、今日はこのへんで。また寄ってって

ちび姉が寝返りしなかった記事はこちら

オヤジの紹介記事はこちら

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